アメリカの法律と歴史を読んでみた

ノルマン人のイングランド征服が、イングランドに封建制をもたらした。
征服王ウイリアム1世が、国王を頂点とする中央集権国家建設を目指した。
この一環に諸部族の法を共通の法に集束させる必要があった。
12世紀にはいくつかの裁判所が作られたが、やがて国王裁判所が他の裁判所の影響力を吸収してゆき、13世紀後半までには拡大の一途を辿る。

裁判官たちは国内各地の土着の慣習法にならって裁判をしていたが、諸慣習に共通する法や自分たちの下した判例は持ち帰り、収集した。
これが、コモンロー。

国王裁判所が他の裁判所に取って代わったのが、訴訟が令状や国王の命で始まったこと、訴訟の立証が決闘などでなく、証拠の吟味でなされたからという。(あたりまえが強い)
訴訟の手続は、
原告が、被告を裁判所に出頭させるに足る事実を満たす、各種令状を購入する。(購入?)
これが、民衆の人気を呼び拡大の一途を辿る。
同時にコモンローが膨大になり、硬直化するようにもなる。

追い討ちをかけるように貴族が圧力をかけ、令状発行権に制限を加えるようになる。
これにより国王の管轄権が限定され、さらにコモンローの柔軟性が弱められる。

14世紀半ば以降、国王裁判所の裁判官は議会が立法化した成文法と自分たちが下した不文法(コモンロー)を厳格に区別していた。
国王裁判所が作る法(コモンロー)が硬直化している以上新たな法が議会で生み出されなければならない。しかし、議会はうまく動かない。

そこで、コモンロー上の救済が不適当だと思う場合に、請願を出させて王自身の恩寵、良心の問題として救済が与えられるようにした。
衡平の見地から救済するのだ。
これが、エクィティー(衡平)。
大法官府裁判所が日の目をみる=その目的は、専門化されたコモンローに拘泥することなく、衡平の概念に従って裁判を行なうこと。

15世紀初頭まで非刑事事件には、コモンローを補充するシステムとしてエクィティーが機能していたが、これも先例に拘束され、自らの厳格性に苦しみ始めた。

17世紀初頭に終結する議会と国王との闘争で、
コモンロー裁判所は議会に、
エクィティー裁判所は国王についた。
これにより、コモンローの名声が高まる。

やがて、コモンロー裁判所がエクィティーの考えを取り入れるようになる。

このエクィティー上の訴訟の特徴は、
陪審制度の不採用、より柔軟な訴訟手続、上訴を再審する門戸の開放。

救済方法の違い。
コモンローは、対物的:財産の差押えや損害賠償の実施。
エクィティーは、対人的:命令。これに従わない時、罰金・拘束刑。

アメリカ人はエクィティーが母国の王権と密接につながることを見抜いていたが、結果的には多くの州で受容されている。
今では融合されつつあるが、充分には実現していないらしい。

コモンロー上、またはエクィティー上の両方にまたがる争点が陪審審理に持ち込まれた場合、コモンロー上の事実問題の争点は陪審が決定するのに対し、エクィティー上の争点は判事が決定する。

(なにやら邪魔くさい方法が取られているようだ。)

さらに、もっとも重要な制約は、コモンロー上の救済手段が不適当な場合のみエクィティー上の権利が適用される。

著者は、
それゆえエクィティーは普遍的な公平、自然的正義と同義でないという。

エクィティーってすこしわかりにくいが、我が国の民法にもある。
信義誠実の原則・禁反言の原則がそれだ。

アメリカ合衆国憲法を日本語書いてくれているページ(英語あり)。

親切な人もいる者だ。
南北朝鮮の憲法まで読める。

以上出典は、




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