紀元前の英語(ラテン語の影響)


紀元前2000年から2500年ごろ、
スペイン・フランスにいたイベリア人(主にイベリア半島の住民)が、立石や環状列石を残したといわれています。(Stonehenge)
彼らは、短身で黒髪の新石器人種の人たちでした。


紀元前5世紀頃から、ケルト人が移住し始めたといわれています。
ケルト人はそれまで、フランス・ドイツ・アルプスなどに定住していた人たちです。ケルトという人種がいるというのではなく、古代ギリシャ人が西方ヨーロッパにいる異民族をケルトイと呼んだことに由来するといわれています。
それ以前の先住民もいました。イベリア人といわれています。しかし、その言語は英語には残っていないようです。
ケルト人の言葉では都市や川の名前で英語として残っています。
LondonYorkThames、などがそうです。

さて、キリスト紀元の初めには、西ヨーロッパはケルト語を話す南とゲルマン語を話す北に分かれていました。
そして、ケルト語を話す地域の大部分でイタリア半島から出たラテン語が広がったという構図があるようです。



紀元前54、55年頃からローマ(カエサル)の侵攻にさらされます。(この頃日本は弥生時代。)
この頃より、ローマの言葉(ラテン語)が英語に浸透します。(イギリスはローマの属州となりブリタニアと呼ばれます。)
wallstreetmilewinedishbuttercheeze、などローマの生活がみえるようです。

この頃食卓の道具としては、武器でもあったknife を肉を切るために使いましたが、 spoon や fork はありませんでした。
spoon が食卓用として使われるのは、14世紀のことです。
fork が食卓用に使われるのは、中世末期の15世紀のことでした。

もちろん、彼らローマ軍はローマ人ばかりではありません。
ローマ帝国に征服された人たちも多く混ざっていました。
ゲルマン人も入ってしたかもしれません。そしてゲルマン人の正体はいまだ謎とされています。

ローマは敵ですがその生活はかっこよく映ったようです。
ローマからは、「(公衆)浴場」の文化が伝えられますが、後のキリスト教の普及とともに浴場がなくなります。
そして、ローマの支配は4世紀後半まで続きます。


ところで、カエサルの「ガリア戦記」(紀元58から52年)というのがありますが、「ガリア」とは今日のフランス、スイス東部、ベルギー南部を含んだ地域のケルトをローマ人が「ガッリ」と呼んだ名称に由来するといわれています。(この頃日本は、倭の奴国王が後漢に朝貢し、印綬を受けています。「後漢書」)

AD47年、ローマのクラウディウス皇帝のとき、ブリテン島は征服され、以後350年間ローマの支配下に置かれます。
(これだけ長い間ローマに支配されるとラテン語の影響が出ないわけにはいきません。)






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